ファミリープロット

ストーリーに工夫が凝らされたユーモア感溢れる作品


採点 ★★★☆☆☆

NHK BSを録画したものを鑑賞。ヒッチコック監督の最後の作品で封切りを映画館で観たことがある。当時はヒッチコック再評価の動きがあり、大いに期待して観たが、怖くなく肩透かしをくらった感じがした。
ストーリーが良く追えなかったこと、題名が??、主役二人が監督特有の美男美女でなかったこと、フンワカ・ムードで軽いタッチであったこと等による。
当時は『エクソシスト』(1974)、『オーメン』(1976)といった強烈なオカルト映画が人気を博していて、その様な作品を期待していたことも一因かも知れない。


今回観直して、物語が解ったせいかシナリオが良く練られていると感心し、ヒッチコック監督のユーモアも上々だとの感想に変わった。
ファミリー・プロットとは、セメタリーの中の家族の墓所の一区画のことで、映画で謎を解く鍵となっている。

ドタバタ風のインチキ霊媒師とタクシー運転手、クールな誘拐犯の宝石商と愛人 二組の物語が別々に始まり、交差し、糸がもつれるように一つの物語に収斂していく様子は監督の円熟味を感じて中々良かった。

サスペンス描写で感心したのは、次の二点である。
①ドタバタコンビが、犯人一味に車のブレーキを細工され、曲がりくねった坂道を猛スピードで下る場面、『断崖』のハラハラした一シーンを思い出させる中で、バーバラ・ハリスが上になり下になる組ずほつれつした演技で観客を笑わせるところ、
②二人は墓の死者の謎を探るため神父を訪ねるが、神父は教会で衆人環視の中、麻酔を打たれて誘拐される。このシーンはヒッチコック監督らしく鮮やかな描写であった。

盗んだ巨大なダイヤモンドを、チープなセロテープでシャンデリアに貼り付けて隠すところなどゆったりしたユーモア感に溢れている。 『フレンジー』に続く楽しい作風であった。
尚、冒頭 バーバラ・ハリスの霊媒師が対応している老婦人は、上品ですごく感じが良かった。調べてみるとキャスリーン・ネスビットという英国の中堅の役者さんであった。


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沈黙


信仰の問題を通じて日本的なものが見えてくる

 NHK BSでマーティン・スコセッシ監督の製作風景を見て、心惹かれたので隣町まで観に行った。雄大な風景の中に小さな人間が良く描かれていると感じた。
小生は基督教信者ではなくむしろ無宗教の立場だが、肉親の死を通じて、基督教とは何かを考えることもあり、遠藤周作の『イエスの生涯』、『キリストの誕生』等も読んでいた。
『沈黙』は、昔、篠田正浩監督作を封切り館で観た。当時、大学一年生であったが、良く解らなかったことを憶えている。その後、原作を読もうとしたり、松村禎三作のオペラを聴こうとしたが、信仰とは何かという重いテーマのせいか続かず中座したままであった。
 今回、CATV 日本映画専門チャンネルで篠田監督の『沈黙』(1971)も再観出来、遠藤周作の原作も読了したので、二つの映画の感想を書いてみたい。

 物語は、幕府のキリスト教弾圧が過酷を極めていた17世紀中ごろ、九州肥前が舞台である。日本で布教活動をしていたフェレイラ神父が捕えられ棄教したとの手紙がマカオのイエズス会に届けられる。弟子のロドリゴ神父とガルべ神父は、それを確かめるため、棄教した日本人キチジローの手引きで長崎に潜入する。
二人は、隠れキリシタンに匿われながら布教に尽くそうとするが、やがて密告され捕えられてしまう。ロドリゴ神父は、はげしい拷問に、己が信仰を貫くか、信徒を救うため棄教するかの二捨択一を迫られる。
既に転向した恩師フェレイラ神父との再会、論争を経て、生命をかけて信じていたものを捨て、踏絵に足をかけてしまう。

 ここには様々なテーマが描かれてくる。
①神は沈黙したままなのか
②弱者は基督教信者になりえないのか
③日本の風土に基督教は根付くのか、変質し異質なものに変わっていくのでは

これらについて、二つの映画で感じたことを書いてみたい。

「沈黙 サイレンス」(2017) マーティン・スコセッシ監督
 ロドリゴ神父は拷問の末、苦悩して転ぶ訳だが、色んな局面で心にキリストの顔を思い浮かべる。その顔は父なるものから微妙に変わってきて、踏絵の場面では母のように悲しげな眼差しで司祭を見つめ、初めて「踏むがいい」と優しく語りかける。

後日談の「切支丹屋敷役人日記」も描かれ、ロドリゴは、転向後、妻と岡田三右衛門の名を与えられ、江戸屋敷で屈辱と苦渋の長き日々を過ごした後、64歳で亡くなる。火葬の際、手の中に藁で作ったロザリオがあることが映され、彼が信仰を持ち続けていた事が示される。
映画では、原作通り、神は沈黙した訳ではなく、人が信じることにより人に寄り添っている事を穏やかに描いて良かったと思う。

 キチジローとロドリゴの二人の関係は、あざなえる縄のようで、キチジローに銀200枚で裏切られ捕えられたロドリゴは、彼を軽蔑、無視し続けるが、キチジローは「パードレ、コイヒサン(懺悔)をねがいます」とロドリゴから離れられない。
弱き故に転び裏切る姿はユダそのものだが、作者のまなざしはこのような弱き者でも赦されると温かく示している。
ロドリゴが踏絵を踏んで、彼もまたキチジローと同列の人間だったと立場が逆転した衝撃は、ここでは描かれておらず物足りなかった。
 転向という問題は、宗教信仰のみならず政治信条やイデオロギーを奉じたものに見られるが、心に深い傷を負わせることが良く解る映画だった。

 撮影は、雄大でクッキリと陰影に富み素晴らしい。マカオの僧院の二人を上空から映した場面や迫力のある水磔の場面は強い印象を受けた。
ただ荒波等の過酷な自然は、穏やかな日本の風景じゃないのではとの思いにも捉われた。撮影は台湾で行われたとのこと。

 俳優はロドリゴ神父役のアンドリュー・ガーフィールドとフェレイラ神父役のリーアム・ニーソンが重い役を上手に表現していて良かった。日本勢は塚本晋也、笈田ヨシが毅然とした役で好ましかったが、他の人は軽い感じを受けた。総じて外国人勢が優れていた。

 マーティン・スコセッシ監督は、目を背けたくなるようなギャング映画も作ってきた人だが、日本人が書いた物語をわれわれと同じように理解し、心を寄せてきたことにシンパシーを感じた。尚、音楽は殆ど気付かなかったことを記しておく。


「沈黙」(1971) 篠田正浩監督 
 概ね、ストーリーは新作と同じだが、ラストは原作と大きく変えてある。踏絵をしてしまったロドリゴが、やはり武士の夫の命を救うために思わず踏絵をしてしまった人妻(岩下志麻)の肉体に酔い痴れるストップ・モーションで、映画は終わる。
ここは、長襦袢の赤い色が鮮やかで、女犯し女色に溺れる神父の姿がショッキングであった。意図は不明だが、脚本に遠藤周作も名を連ねており、強い印象を受けたことを憶えている。

今回、観直してみて、日本人俳優は総じて達者で、外国人俳優は下手なのかタドタドシイ日本語で違和感たっぷりであった。
キチジロー役のマコ岩松(本作の共同プロデューサー)は、弱くて卑屈なところが良く出て美男子でないところも良かった。通辞役の戸浦六宏も朗々と喋り小役人的なところも良く出ていたが、印象深かったのは井上筑後上を演じた岡田英次である。
美男子で凛としている。切支丹からひどく恐れられた役だが、ロドリゴと基督教に関して論争する。フェレイラの告白とあわせて、ここで語られるのは日本の精神性と西欧に育った宗教の異質性の対比である。曰く、日本は沼地で基督教は育ったかにみえても根付かない、日本人が信じているのはデウスではなく、自己流に屈折させ変化させた大日である等々。篠田監督は、信仰と風土という深い課題を描きたかったんだなという事が今回観て良く解った。
尚、フェレイラ役の丹波哲郎は、怪演で得意の英語を朗々としゃべっているが、西欧人には見えずやや無理があった。

 音楽は、武満徹作曲で強い印象を受けた。リュートが聖歌を思わせる雅な旋律を奏していくが、突如ハープがそれを鋭く断ち切るように奏せられる。二つの響きの断絶が本作のテーマを表していた。


 二つの映画には、それぞれ美点があったが、遠藤周作の原作は基督教は大いなる愛であること、ロドリーゴの心が変わっていく様子を深く描いて、最も優れていると思う。繰り返し読むのに値する書なので、皆さんにもお勧めしたい。


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不滅の恋

 昨日も今日も 涙 と共にあなたを想う
 あなたは私の生きる命
 私のすべて
  さようなら 私を愛し続けて



 今年は雪が降ったり急に暖かくなったりと気候の変化が大きく振り回されるような感じです。年末から手足の冷えを感じるようになったので、ためしてガッテンで紹介された血管伸ばし体操を始めています。これは効果ありです。
年を取ると良いこともあり、30年間苦しんだ花粉症が無くなったのは嬉しいことでした。


 作曲家ベートーヴェンの伝記映画は幾つかあるが、本作はミステリー仕立てのストーリーと美しい音楽が相まって魅せる映画となっている。

 1827年3月ベートーヴェン(B)は56歳の生涯を終える。棺を大勢の群衆が取り囲んで葬儀に運ぶ様子が描かれる。ここには若きシューベルトも参加したと聞いたことがある。
遺書「全ての楽譜、すべての財産の相続人は、わが不滅の恋人ただ一人である」 
彼の忠実な秘書アントン・シンドラーは、Bの弟ヨハンの「自分のものだ」との主張も退け、遺書に書かれた不滅の恋人を見つけるべく、三人の女性たちを訪ねる旅をしていく。
①ボヘミア カールスバートのスワンホテル/Bとの遭瀬で行き違になった黒いベールの婦人
②ウィーン フォン・ガレンブルグ邸/テレーゼとヨゼフィーネ姉妹
③ハンガリー エルデーディ家領地/エルデーディ伯爵婦人
彼女らの思い出を通じて、Bの生き様や作品が鮮やかに描かれる。

 ベートーヴェンは楽聖として、古典~ロマン派音楽の創出や人類愛を願ったなどと褒め称えられ神格化された姿が流布されていて、個人的には胡散臭さもあり敬遠気味であったが、ここに描かれるのは欠点の多い傲岸不遜な人間である。
女中のような下級階層の人々には傲慢で、突如怒り出すわ物を投げつけるわで、貴族に対してもへつらうことなく馬鹿にし強情な態度をとる。友達にしたくないタイプである。 

 映画では、Bの生活が何と暗く惨めで、それに対し彼が創り出した音楽は素晴らしく美しいという対比が際立っている。
暗い影を落としているのは、アル中のステージパパに振り回された少年時代もあるが、何より耳疾と甥カールとの関係である。
27歳の頃より始まったと言われる難聴は、ハイリゲンシュタットの遺書に生々しく苦悩が書かれている様に、中年以降は殆ど聞こえず筆記板を使った対話を行っている。
この映画でも聞こえないことによる聞こえる側との断絶が深いことが描かれている。彼の音楽が、耳で聞いて心地よい響きでなく、観念的に同じ主題をしつこい位発展させ内面を深く見つめているのは、ここから来ているのだろうと思い至った。

 弟カスパルが肺病で亡くなり、甥カールの親権を母親と裁判で争って勝ち取り、後見人となる。教育パパとなり、4-5年は作曲も行わなず、カールに音楽を教え込むが、才能がないカールは過剰な期待に耐えられずピストル自殺未遂を起こす。
甥カールへの屈折した愛情は、Bに深い傷を負わせた。

 不滅の恋人は誰かという事が大きな主題で、これでグイグイ引っ張っていくが、何故甥御に執着したかも含めて、最後に意外な謎が明かされる。ここで、種明かしはしないが、Bは上昇志向の強い人で自分より身分が上の貴族しか目を向けていなかった様なので、結論だけを見ると、それは無いだろうとの思いを強くした。
映画は、主人公を演じたゲーリー・オールドマンが直情傾向型の傲慢で晩年は落剝していく姿で魅せたが、後半はミステリーから偉人伝風に変わって行くので、既視感を覚え興を削がれたのは残念であった。

音楽はピアノ協奏曲第5番、クロイツェルソナタ、交響曲第7番、第9番等々の第二楽章が多く用いられて、こんなに美しかったんだと見直すことが多かった。
監督バーナード・ローズは、後に『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』を作っており、クラシック音楽に造詣の深い人のようだ。


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映画、クラシック音楽、料理、ゴルフが好きな中高年男です。 家猫1匹、外ネコ3匹に遊んでもらっています。

ボクダノビッチ

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