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山本直純と小澤征爾



山本直純は才能を浪費させたのだろうか ?

 図書館より5冊借りた中の一冊。文章が巧みで良く調べてあるせいか面白く、数日で読んでしまった。

山本直純(1932-2002)と小澤征爾(1935-) 有名な音楽家二人の立身伝・友情物語である。
小澤氏の出世譚は色んな本で良く知っていたが、山本直純氏の方はTVで観た位で殆ど知らなかったので、そちらに関心が向いた。本作品では彼が主役として描いてある。

小澤征爾氏の個人的な思い出
① コンサート
昭和52年秋、防府市公会堂で指揮者小澤征爾の新日本フィル演奏会を聞いたことがある。曲目は武満徹『弦楽のためのレクイエム』、チャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲』(Vn 前橋汀子) 他であった。
舞台裾から走って飛び出して来て、指揮台にピョンと飛び乗ったのが小澤氏で、若さ溢れた、こんな登場は初めてなので、印象的であった。
武満徹の贅肉を排したような厳しい曲から始めて、彼は武満のエヴァンゲリストだなとの思いがした。加えて、アンコールにマスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーニ』間奏曲を聞いて、抒情に優れた人だなとの思いを持った。

② NHK-FM放送
 昭和50年の正月だったか大学生の私は、小澤征爾氏と音楽評論家吉田秀和氏との新春対談の放送を聞いていた。吉田秀和氏は桐朋学園での恩師である。その中で吉田氏は小澤氏に「40歳になった時何を考えたか」と尋ねた。
小澤氏は「まだ勉強しなければならない事が多々ある云々」と答えたのに対して、吉田氏は「僕は残りの人生が、これまで程ないんだという事をつくづく感じた」と話していた。言外にこれからの人生、よく考えて進みなさいと伝えている様で強く印象に残っている。

さて新書の内容であるが、二人は小澤氏が中学三年生の時に出会っている。齋藤秀雄先生の指図で山本氏に指揮を教えてもらったことから交流が始まった。
小澤氏は、山本氏に一目置いており彼を天才だと語って、終生変わらぬ敬意と友情を持ち続けている。

 山本直純氏は東京藝術大学を卒業し、日本フィルの指揮、映画音楽の作曲、興隆期のTV業界の仕事に寝食を忘れて大活躍する。特にCMソングや童謡の作曲、『オーケストラがやって来た』の企画・司会ぶりは有名である。
 一方、小澤征爾氏は、桐朋学園短期大学在学中の1959年にヨーロッパへ音楽武者修行の旅へ出る。それからの超人的な出世物語はあまりにも有名である。
二人は、日本フィルの解散に伴う新日本フィルの立ち上げに協力して尽力した。

 山本氏は小澤氏の旅立ちにあたって「オレは底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ」と語ったとある。
これがこの本を貫く美しいテーマにもなっており、その後の二人の活動を反映している。

しかし本を読んだ私の感想は、山本直純氏の生き様は大量消費時代の消耗品のためにアクセクした生涯のようで、優れた才能を生かしきれてない残念な思いがした。
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらの例を見るまでもなく、人生における生活苦は、その作品に深い陰影を落として、美しい光と影を産み出していると思う。
 山本氏の場合は、節が無い竹のようであっけらかんとしている。

 優れた音楽才能に恵まれながら、アレンジ&プロデュース能力ばかり求められた生涯に、彼は満足していたのだろうか。
 作曲家として、もっと素晴らしい作品を残せたのではと感じたのは、私だけだろうか。


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オールドテロリスト

カッコ付けない初老男性の生理と心理には共感するところが多かった


村上龍の新作である。図書館から借りて熱心に読んだ。表紙のイラストを見てユーモア小説かなと思ったが、冒険小説風でシリアスな内容であった。


定職を失い、妻子に逃げられた50代のルポライター セキグチ氏が不思議な予告電話から3件のテロに遭遇し、その黒幕を探っていく筋立てになっている。
3件のテロとは、①NHK玄関ロビーの放火、②大田区柳橋商店街での刈払機を用いた走行自転車の首刈り、③新宿歌舞伎町映画館でのイペリットガスを用いた大量殺戮で
平和な現代日本の姿が一変する。

謎を孕んで進行する前半がぐいぐい引き込む力があって良い。満州国の人間、日本刀の抜刀術、心療内科医師アキヅキの糸電話セラピー、延命装置を付けたフィクサー老人と謎めいたパズルの一片、一片が鮮やかに出現し、引き込まれてしまった。
アキヅキ医師がバリトンソロで囁く、ゾクゾクとする説得力も強烈だ。

後半は、セキグチ氏がチームを作って謎に迫っていくが、早々とネタバレとなり興がそがれた。
枯れていない老人達の姿は良く描かれていたが、「日本を焼け野原にすべきだ」との主張には、何故か? というところで説得力に欠けていた。
また若者の姿が、画一的な無力な生気を失ったステレオタイプとして描かれ、それはないだろうと突っ込みも入れたくなった。

深く感じさせられたのは、主人公らが大殺戮テロに遭遇した後、PTSDというか後遺症、トラウマに苦しめられる場面で、精神安定剤をガリガリ噛み砕いて水で喉に流し込むシーンが多く出てくる。また人生で最も辛いことは何かと自分に反問し、「大切な人に何も出来ない存在になってしまったこと」、「いやそれよりも後悔することだ」と気付くところなどは、ハットさせられた。
世界中でテロが起こっている現在、不幸にして巻き込まれた人は想像以上に後遺症に苦しむのだろうと思い至った。

枯れていない、まだまだやれると思っている70~90歳の老人達が、世の中に対して持つ不満や鬱屈感は分からんではないが、世直しは20~50歳の若い時代にやるべきと思う。その意味からは政治家も65歳以上は引退してほしいと切に願うものである。

本書は、村上龍らしく『コインロッカー・ベイビーズ』でのめくるめくような浮遊感が感じられるし、『半島を出よ』に見られた軍備の細部のリアリティにも溢れており、最後は肩透かしであったが、スケールは大きく十分に楽しめた。


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石川啄木

美や芸術に対する真摯な思いは美しい


26歳で亡くなった夭折の歌人石川啄木(1886~1912)の本格的評伝である。手紙等の当時の言葉は、現代語訳が付いており、短歌もキーン氏の簡潔明瞭な英詩への翻訳もあり、378頁もあったが読みやすかった。

啄木というのは、知らなかったが故郷岩手県渋民村でその囀りを愛好したキツツキの事だという。
その生涯は、三つの時代に大別され、日戸村での出生を経て、小、中、高を渋民村で過ごす盛岡時代、函館、小樽、釧路を転々とした北海道時代、上京後の東京時代であり、彼を取り巻く人間関係やエピソードを丹念に描いている。
彼の伝記は、昔読んだことがあるが、傲岸不遜というか傍若無人というか余りに人格に問題があり、貧苦と病苦に喘いだ哀しい人生も自業自得じゃないかと感じていた。

今回の評伝は、北海道の新聞社で世話になった社主の排斥運動、恩人達への借金と踏み倒し等も詳細に描かれ上記を裏付けているが、自分のために赤裸々につけていた『ローマ字日記』を読み解くことにより啄木の内面、人間性を深く掘り下げている。
本書は、何よりも啄木への大きな敬愛に溢れており、卓越した詩人像が浮かび上がって感心した。


教えられたのは下記の三点である。

1. なぜ短歌を作るのか?
石川啄木は、言葉の感性が素晴らしく操り方が天才的で、数日で二百数十の歌をすらすらと作っている。上京後、与謝野鉄幹に連れられ森鴎外が主催する観潮楼歌会に出席し優秀賞にも選ばれている。

彼が何故短歌を作るかという問いに素直に答えている箇所があり、創作の秘密を見たようで胸を打たれたので引用しておく。
「人は歌の形は小さくて不便だといふが、おれは小さいから却って便利だと思っている。そうじゃないか。人は誰でも、その時が過ぎてしまへば間もなく忘れるような、乃至は長く忘れずにいるにしても、それを言い出すには余り接穂が無くてとうとう一生言い出さずにしまうというような、内からか外からかの数限りない感じを、後から後からと常に経験している。多くの人はそれを軽蔑している。軽蔑していないまでも殆ど無関心にエスケープしている。しかし命を愛する者はそれを軽蔑することが出来ない。(中略)一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃してやりたくない。それを現わすには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ。実際便利だからね。歌という詩形を持っているということは、我々日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ。」(第13章 二つの詩論)

2. 優れた批評家、編集者の一面
啄木は、田舎の地でどうやって学んだか詳らかではないが、語学(英語)に堪能で原書を購入し、よく読んでいる。
若き日に岩手日報に書いた同時代人のワグナー論、これは音楽論ではなく思想家論、やオスカー・ワイルドへの言及は優れた知性の持ち主であることを示している。
また編集者としても優れていたようで、雑誌『スバル』、『二葉亭全集』の編集も務め、キチンと仕上げている。

3. 篤い友情
石川啄木は、生活者としてはジコチュー過ぎて他人の迷惑を顧みないところがあるが、三人の恩人に恵まれた。彼らは裏切りや反目を乗り越えて終生啄木を支えている。
①言語学者の金田一京助:同郷の出身の親友として金銭面の支援、変わらぬ友情を与えた。彼の子息は啄木の借金で家財を売る羽目になった父を見て、彼の祖先は大泥棒、石川五右衛門に違いないと思ったとある。
②妻節子の妹の亭主である宮崎郁雨:啄木一家を物心両面で支えた。晩年、節子との不貞を疑われたが、啄木死後も彼の名声普及に尽力した。
③土岐哀果:亡くなる一年前に出会い、没後、全集出版に尽くす。彼が居なかったらここまで石川啄木は有名にならなかったろう。

啄木のダイヤモンドのような才能は、死後も彼らを魅了し動かしたのであろう。彼等から観た啄木像も読んでみたいと思わされた。

図書館で借りた本を数日で読んでしまった。東北出身の太宰治、寺山修二なども同じ風土が生むメンタリティを持っていたのか気になってしまった。


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文藝春秋


今年の芥川賞受賞で大評判になっている又吉直樹著『火花』を読んでみた。単行本は手に入らなかったので、文藝春秋9月芥川賞掲載号を購入した。
お笑い芸人のピース又吉氏については、TVで顔を見た位で何も知らないので、白紙で臨んだが、予想以上に良かった。

文章も上手いし、描かれている漫才というお笑いの世界が、思っていた以上に深く、芸人の真摯な思いで作り上げられている様子にも感心した。

20歳の駆け出し漫才師の徳永(主人公)と師匠と慕う4つ年上の漫才師神谷との10年間にわたる交流の物語である。登場人物は、彼らを取り巻く人々で6人位と少ない。
徳永にとって、客に受ける笑いは、揺るぎない至上のもので、創作の努力も惜しまない。笑いを極めるためには、師の存在は必須なのであろう。
師匠神谷との対話は、関西弁を交えた禅問答で、妥協のない真剣勝負の様でもある。

軽く見ていたお笑いの世界に、若者がこれほど深く仕事に対峙しているとは!!  驚きでもあり発見でもあった。

季節が変わり、時が移り行く中で、心ならずも変わっていく二人の姿には哀感があって良かった。ほろ苦い思いで過去を振り返るような青春物語でもあり、細やかな風景描写とも似合っており、とても好感を持った。主人公の暖かな眼差しも寄与している。結末のところは違和感が残ったが、大変良い作品だとおもう。


本作を読んで、黒木和雄監督の映画『祭りの準備』(1975年)を思い出した。シナリオライター志望の主人公が「誰でも一本は傑作を書ける。自分の周囲の世界を書くことだ」という言葉を引用していたが、又吉氏にも言えることで今後の精進で新たな世界を切り開くことを期待したい。




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マルクスの末裔


久しぶりに翻訳ミステリー小説を読み堪能したので、感想を書いてみたい。
この本は、10年位前に買ってあったが、数ページ読んだだけで積んであった。やはりミステリ小説は、最初の100頁を読んで判断しないとダメだと思った。最初は退屈だったが、後半になるにつれ、面白さが積み上がって行った。

本格的なミステリである。ロンドン警察の二人が、老姉妹が殺された殺人事件を足を使って丹念に探っていく。ロンドンに住んだというカール・マルクスの足跡、遺産の話が虚実交えて、上手にちりばめてあり、ロンドンの下町の様子と歴史が浮かび上がって来て、深い感興を覚えた。

原題は“Marx Sisters”
ロンドン中心部の下町エルサルム横丁のフラットで老女メレデス・ウィンターボトムがベッドに死んでいるのが発見された。検死では窒息死、誰が害のない老女を殺したのか。
本事件を所轄で女性のキャシー・コーラ部長刑事、スコットランドヤードから派遣された中年の敏腕と言われるブロック主任警部の二人がコンビを組んで捜査する事になる。

殺されたメレデスは、二人の妹、ペグとエレノアと暮らしていた。

調査が進むに連れ、エルサルム横丁の住民の多くは、第二次世界大戦に伴う東~中央ヨーロッパからの難民で、年老いた者が多く、過去を暴かれる事を恐れたナチ協力者もおり、一見仲良く暮らしていたように見えるが、水面下では、険悪ないがみ合いも起こっていた。
またこの地を再開発するプロジェクトが進行しており、横丁の住民の大半は立ち退く事に同意したが、メレデス三姉妹は、立ち退きを頑固に拒否していた。

殺人の動機がある者として、第一に悪意を抱いていた横丁住民、第二に都市開発業者が浮かび上がってくる。

捜査が迷宮入りするかと思われた頃、エレノア殺人事件が起こり、連続殺人として謎が深まっていく。

キャシー刑事が捜査の聞き込みをする中から、ディベロッパー関係の建築家ボブ・ジョーンズと在米の女歴史学者ジュディス・ネイスミスが、古書店でカール・マルクスの手紙を発見していた事実が出てくる。三姉妹が持っているというマルクスの献呈本やら手紙、遺稿の話が出て来て、事件は近代の歴史も巻き込んで展開して行く。第三の容疑者は、遺稿を狙った者の可能性が出てきた。
マルクスの話が出て、ストーリーに歴史の陰影が浮かび上がり俄然面白くなる。

確かにカール・マルクスは、1849年から1883年の亡くなるまでロンドンに亡命し、家族と共に生活していた。30年間大英図書館に朝から夕方まで詰め、三万冊を越える書籍を閲覧し研究等を行っていたのは、有名な話である。
「資本論」の執筆活動を行い、彼の生前第1巻のみが出版された。死後、原稿や本は一つに纏められ、”遺産 (ナツハラス) ”と呼ばれ大切に扱われ、親友エンゲルスの尽力で遺稿、書簡から資本論2,3巻が編纂された。

しかし、小説では、第4巻に当る”最終目標”が遺稿で残されていたとされる。
これは革命が最も進んだ社会でのみ成し遂げられる理想社会に関するもので、ロシア革命のような封建主義から社会主義への急速に発展した社会では、内部の矛盾を経験することがないので役に立たない。十分に発展し近代化を終えた成熟社会において、過去よりも未来において、必要とされる導きの書とされる。
人類の未来に明るい展望を開く、信じられないような壮大な話となってくる。

更に、三姉妹はマルクスの曾孫であることが明かされる。マルクスが家政婦に手をつけ、エンゲルスが引き取った隠れた事実を巧みに生かして、その家系であることが語られる。
マルクスの子孫が生きているという驚愕の発見とマルクスの娘達が辿った過酷な運命が描かれ、歴史の深い側面を覗き見るようで引き込まれる。

殺人事件の犯人は、二転三転して最後はアッと驚く真実が待っている。ここは本を読んでのお楽しみである。

男女の刑事コンビは珍しいが、恋愛感情とかは出てこない。若手のキャシー刑事は、エネルギッシュに関係者に聞き込みを行い、何回も会って、相手の表情を読んで怪しい点を追っていく。
ブロック警部は、重厚で洞察力のある実力派で、キャシー刑事のサポートを良く果たして行く。何故、彼がスコットランドヤードの本部を外されたかとか、経歴や個人生活は、本人の口からは語られず、ほんのり噂で聞こえてくるところは、次回作以降に期待を持たせる。
アクションは最後のところに出てくるが、あくまでもオーソドックスな謎解き本格ミステリーで、歴史の影の部分も描かれ、本当に楽しめた。関心のある皆さんにもお薦めしたい。

著者バリー・メイトランドは、キャシー、ブロックのコンビで、その後3つのミステリー作品“All My Enemies”、“No Trace”、“The Malcontenta”を出版している。
こちらも出来栄えが楽しみである。
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プロフィール
映画、クラシック音楽、料理、ゴルフが好きな中高年男です。 家猫1匹、外ネコ3匹に遊んでもらっています。

ボクダノビッチ

Author:ボクダノビッチ
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