静かな展開ながら、ハラハラドキドキさせられる
30年も昔、NHK名作映画劇場でビデオに録画しておいたものを再見した。録画媒体もビデオからDVDに変わり、私もビデオの多くは廃棄しつつあるが、久しぶりに観てみると思った以上に画質が良い事に感じ入った。
「落ちた偶像」は、英ロンドン・フィルム製作で名匠キャロル・リード監督の全盛期のサスペンス作品である。英作家グレアム・グリーンのショート・ストーリーを基に彼自身が脚本を書いている。セリフに他2人が協力している。
ロンドンの仏語を話す大使館に住む孤独な少年を主人公に子供の目線で大人の世界を鮮やかに描いている。この幼い少年の演技力が抜群で、孤独、憧れ、喜び、不安、怯えなどの心の動き、気持ちが痛いように伝わって来て、どのように演出したのだろうかと感心する位、みずみずしい。
死亡事件が起こる訳だが、観客はそれが事故死である事を最初に知らされる。当初は事故死で片付けられそうになるが、関係者達が秘密を守るため、それぞれ嘘をつき、綻びが生じて、刑事に殺人事件の疑念が生まれてくる。
刑事たちの取調べのシーンでは、誰も大声を上げる訳ではないが、無実の人が逮捕されるのではないかと思わせ、ジリジリと緊迫したサスペンス感を盛り上げていくところが、素晴らしい。
大広間から2階に上がる曲線の階段を主な舞台に、子供の目線で見下ろす俯瞰した撮影は、奥行きが出ている。
死亡事件を目撃した少年が、錯乱して夜の町中を裸足で走り回るシーンは、町並みと石畳が白と黒のコントラストで浮かび上がって印象的である。映画館のスクリーンで観た「第三の男」の夜の街と重なるところがある。
屋敷でのかくれんぼで、カメラを傾けて撮影しているシーンなども緊迫感を生んでいる、とジョルジュ・ベルナーリのカメラ技術が秀逸である。
物語は、大使がフィリップ少年の病気療養中の母親を迎えに数日不在になるところから始まる。執事ベインズ (ラルフ・リチャードソン)は、その妻(ソニア・ドレスデル)と不仲で、タイピストのジュリー(ミシェル・モルガン)と恋仲になっている。
フィル少年にとって、執事は尊敬する英雄であり、心を打ち明ける友人でもある。彼のアフリカの冒険談に心をときめかせ、話をせがんでいる。
ベインズ夫人は、意地が悪く、ことごとくフィルに辛く当たり、大切なペットのヘビまで殺してしまう。
ジュリーは、執事ベインズとの関係に疲れ、別れようとしている。ベインズ夫人の不在時に3人が、動物園に出かけ、その夜、夫人が戻り事件は起こる。
夫人が二人の関係を怪しみ、少年を問い質し、They? He and ? とフィルの言葉尻を捉えて、ベインズと一緒にいた人物を探っていく場面は、セリフの上手さも相まって、ナカナカ恐ろしい。
そして、ベインズ夫人は、夫との諍いの中で、誤って二階から墜落死してしまう。
純粋なフィルが、大人の世界の身勝手な『秘密』、『約束』、『正当防衛』などの言葉に振り回され、殺人嫌疑を掛けられた執事ベインズを必死で守ろうとする様が描かれる。
それに対して、刑事たちが子供に寄り添って、やさしく話を引き出そうとするところなど演出が巧みだ。少年が興奮して、英語から舌足らずな仏語に言葉が変わっていくところなども面白い。
題名の「落ちた偶像」(The Fallen Idol)は、少年が信じた執事ベインズのアフリカ冒険も嘘と解り、信頼していたものの失墜を指している。
映画では、英国人らしく上品なユーモアが描かれている。
一点目は、大切にしていたペットのヘビ、マクレガーを殺されたことに対して、執事は墓を建てようと慰めるが、少年は墓銘碑にベインズ夫人に殺されたマクレガーと書くと言い張るシーン、
二点目は、捜査の大詰め時、何も関係ないが、職人が置き時計の点検を行って帰るシーンである。
真面目に演じているだけに可笑し味がある。
執事ベインズ役は、名優ラルフ・リチャードソン。淡々と抑えた演技が光っていた。デビット・リーン監督の「超音ジェット機」、「ドクトル・ジバコ」の叔父役で見ていたが、ローレンス・オリヴィエと同僚の舞台俳優である。
ミシェル・モルガンは意志の強い女性の役柄である。この頃は、女優のラブシーンでは、大写しの顔の輪郭をぼかして撮っていたのデスネ。再認識しました。
キャロル・リード監督は、「邪魔者は殺せ」(1957)、「第三の男」(1949)とこの作品の前後に名作を連発している。
この作品もグレアム・グリーンの脚本、セリフの上手さで、今日でも通用するサスペンス映画の名作と思う。