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追悼 石堂淑朗氏「偏屈老人の銀幕茫々」(筑摩書房2008年)

石堂淑郎


拙文を読んで下ったり、拍手をして下さる方がいらっしゃり、ブログを書く励みになっております。大変有難うございます。


脚本家の石堂淑朗氏が、昨年11月1日にすい臓がんで亡くなっていた事を新聞で知りました。凶年79歳でした。

1960~70年代に大島渚、浦山桐郎、今村昌平監督等と組み、松竹ヌーベルバーグの一員として脚光を浴び日本映画を代表する脚本家でした。彼が脚本を手掛けた「日本の夜と霧」(1960年)、「非行少女」(1963年)、「黒い雨」(1989年)などは、時代を画した作品だと思います。

筆が早く、構成やプロットの技法に凝るよりも、主題が明確でブレない骨太な作品が多かったと思います。本人は構成力が劣っている事が、脚本家生命を縮めたと述べていますが、後半生もTVでの仕事を中心に活躍しております。映画から遠ざかったのは、本人にとっても不本意だったかも知れません。

ヌーボーとした大酒飲みの大男で、時代に上手に妥協出来ない不器用な硬骨漢という印象があります。前述の監督達とのエピソードや交流を多く書き残しており、こちらがサラリーマンであるせいか、彼等の破天荒な濃い付き合いを読むのは楽しみでした。

親友の浦山桐郎を回想するインタビューで、「トーマス・マンが作曲家グスタフ・マーラーに会った時、『あっ、この人は天才だと思った』と書いている。浦山とは初対面から、それに近いsomeoneという印象がある」と絶賛している。
また、俺はベートーヴェン派、浦山はモーツァルト派と言う位、クラシック音楽への愛情と造詣が深く、二人とも旧制高等学校が醸し出す豊かな教養を発散していました。

最後の自伝エッセイ「偏屈老人の銀幕茫々」(2008年)は、若き日の失敗と破天荒な行動の数々を自分を飾らずユーモラスに描写しています。東大生時代、後に日活映画監督となった藤田敏八と恋人を取った取られたのドタバタ振りは抱腹絶倒ものです。
また今村昌平や実相寺昭雄などの懐かしき監督たちの内面を深く洞察した文章は、胸を打つものがあります。
中々の文筆家なので、60年代の日本映画の熱き日々を活写したこの本は、関心ある方には面白いと思います。

60年代の新左翼文化の花形旗手であった大島渚とは、創造社創立から一緒で、彼もその一派(佐藤慶、戸浦六宏、松田政男、田村崇、足立正生等)と見なされていましたが、イデオロギーを信奉することが、肌に合わないのか、次第に距離を置くようになります。
70年代前半、オール読物に決別表明のように「我が敵、大島渚」と書き、何が書いてあるのかと楽しみに読みましたが、愛憎相半ばするといった感じの腰が砕けた昔話でガッカリした覚えがあります。
映画評論の編集長 佐藤重臣が「わが敵と書いてみたけどラブレター」と皮肉っておりました。

晩年、講師を勤めた日本映画学校からホラー映画の清水崇監督が弟子で育っているのは、嬉しい限りです。

昭和を代表する名脚本家が亡くなったということで、ご冥福をお祈りしたいと思います。
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映画、クラシック音楽、料理、ゴルフが好きな中高年男です。 家猫1匹、外ネコ3匹に遊んでもらっています。

ボクダノビッチ

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