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映画「利休」(1989年)

利休

感謝と反撥、尊敬と侮蔑がないまぜとなった心理ドラマ


ATG映画など前衛映画で活躍していた勅使河原宏監督の晩年の作品である。
生け花の草月流家元でもあり、ここで描かれた茶道、能、陶芸、花、庭園などの映像は、彼の日本の美への深い造詣を反映し見事である。
日本のバブル絶頂期で、セットは贅を尽くしたものとなっている。ワダエミの衣装も原色を生かし華やかで素晴らしい。

茶の湯に関しては、我が家では母親が近所の家元のお茶教室に熱心に出ていたが、私は、女子の嗜み、社交の場と思って興味も抱かなかった。そういう訳で、茶道とは無縁な生活で、今回初めてこの映画を観たのだが、内容に深みがあり、予想以上に面白かった。

戦国の動乱期から豊かな安定へと移行していく時代を描き、合戦や切腹,打首等の刀を用いたシーンは全く無く、もっぱら秀吉と利休との息詰まるような心理の駆け引きを描いたドラマとなっている。

映画を観る前に疑問だったのは、小生の知識不足もあるが、次の2点である。
1. 茶の湯が当時の戦国武将たちにどのような影響力を持っていたのか。
2. 利休の死の謎。何故秀吉は利休に切腹を命じ、利休はそれに粛々と従ったのか。

朝靄の立ち込める早朝、利休(三国連太郎)はお茶の準備をし、茶室に庭の白い朝顔を一輪生ける。そこへ秀吉(山崎努)が気忙しく訪ねて来るが、庭の朝顔が全て切り取られ、茶室にだけ飾られてある事を見て、ハッとする。利休の有名なエピソードから映画は始まる。

秀吉が明智討ちの後、利休に茶室を作ってもらった思い出から信長(中村吉衛門)の時代にフラッシュバックして行く。明るく華やかな色調で、南蛮人らに囲まれ、地球儀を眺め、地に果てが無い事を信ずる信長。 

利休は、堺の商人ながら信長、秀吉に茶頭として仕え、参集した大名を前に、秀吉に「公儀のことは秀長に、内々のことは利休に」と言わしめる大物になっている。
黄金の茶室を作り、朝廷に茶を飲ませる事に成功したり、秀吉に恭順しない大物、政宗、家康にも一目置かれる存在になっている。
茶の湯の求道精神が、熱狂的に戦国武将に支持され、利休は精神的リーダーになっている事が良く判る。当時、茶道具の銘器と城との交換を望む者までいたという。

そのような利休を配下に置くことは、秀吉は嬉しく誇らしくもあるが、最高権力者の秀吉が、茶の湯では利休の下となる逆転現象が次第に疎ましくなってくる。
秀吉が自分の作法を尋ねる。「こんな具合で良かったかな」、「はあ、まあ」、「わしのは型が見え過ぎか」利休は、いつも「はあ、まあ」としか答えない。
秀吉が、美の世界で師を越えられないコンプレックスを抱き、利休の政治への口出しの話を聞き、次第に疑心に駆られていく。

腹心の石田三成(坂東八十助)が、オテロのイァーゴの役で主人の心の不安につけ込む狐の役を務める。三成にとって政治にアドバイスする利休は、権力闘争で邪魔者である。
温厚な理解者、豊臣秀長が亡くなって、小田原方に身を寄せていた高弟 山上宗二(井川比佐志)が秀吉の逆鱗に触れ打ち首となって、利休の運命は急展開して行く。

三成は、大徳寺山門の利休像設置や、「唐御陣(朝鮮・唐出兵)は、明智討ちの様にまいらぬ」との利休発言を不義と糾弾する。

最後の茶会。秀吉と利休が二人きりで話をする。
「茶頭にしたのは、おれの自慢だった。ここでは、おれとお前の間に何も無い。何も言っても良い。」利休は、何も言わない。
所望により、秀吉が持参した器に梅の花を活ける。花を散らして水面に浮かべる利休の斬新さに、秀吉は非力だと思い知らされる。指一本で世界が変えられる者への賞賛と嫉み。
最後に唐御陣の話となり、利休は「高齢の大政所や幼い鶴松君を安んじる時だ」と諫め、多くの大名は出陣を渋っていると伝える。
秀吉は、「お前の知ったことか」と激怒し、戸を蹴破って出て行く。

ここでの両者には、虚飾があるのではないか。
秀吉は、諫言する人もいない裸の王様ではあるが、島津平定、小田原征伐、朝鮮征伐と止む無き領土拡大の野望に捉われていた人物なのである。内政に専念しろというのは、通じない話であろう。

一方の利休は、当時70歳。侘び茶の世界を創造し、美の世界では並ぶ者がいないと自負していた。権力者に媚を売り、屈辱にまみれて生き長らえるよりは、築き上げてきた芸術に殉ずる事を夢見たのだろう。死して、茶道と利休の名を不滅のものとする計算が働いたのではと考えるに至った。

しかし、利休も死を前に動揺する。妻りつ(三田佳子)が北政所(岸田今日子)へ詫び状を出すことを勧めるが断る。
「生きていくための方便じゃありませんか」「何を詫びると言うのだ。一度頭を下げてしまうと、それからは、歩く度に這いつくばって歩かねばならない」
天正十九年二月二十八日 利休自刃

秀吉には、中肉中背ないし痩せた小柄なイメージを持っていたので、山崎努演じる大男の秀吉には、最初違和感が強かったが、映画の進行につれ、才気煥発、レスポンスが早い、皺深い老いの姿を滲ませて来る屈折した演技に引き込まれた。呵呵大笑するが、眼は笑っていないなど所々で怖い芝居を見せる。
一方の三国連太郎の利休は、横綱相撲のように堂々として立派である。
坂東八十助は、眉を剃って不気味な小賢しい三成役を演じて好演である。

音楽は円熟期の武満徹で、抑制的な室内楽の響きが魅惑的だ。
オルガン、ハープ、オーボエ、ビブラフォン、和楽器(琴、琵琶)等が静かに響き、心理的に緊迫した場面では、緊張を高める音が、懐かしい場面ではバロック音楽風の穏やかな響きが美しく、オルガンの響きなどはバッハ風でいつまでも胸に残り、繰り返し聴きたい曲だ。
第13回日本アカデミー最優秀作曲賞受賞作である。

美術は、三畳一間の華美をそぎ落とした茶室、韓信の股くぐりではないがくぐり戸からの入室など利休が創作した工夫を知る事が出来た。焼き物や長谷川等伯の襖絵の創作プロセスにも眼を引き付けられ、竹林やすすきの風景も美しく描かれている。
この映画で、秀吉が黒茶碗を嫌っていたと初めて知った。

原作は、野上彌生子「秀吉と利休」で、こちらでは心理の綾が更に木目細やかに描写されている。最後、妻りきが利休の首桶に信長から賜った正倉院の香木 (蘭奢待)を手向けるところがあり、シンミリさせられる。

勅使河原監督は、学生時代に日本共産党の山村隊に入って破壊活動に参加し、60年代に「砂の女」、「他人の顔」等の前衛芸術で高い評価を得て、その後、華道の家元を継ぐという大きな回帰をたどった経歴の人である。
「利休」は、パトロンとその庇護にある芸術家の対立という大きなテーマで、日本の美を問うた彼の集大成となる作品だと思う。
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まとめtyaiました【映画「利休」(1989年)】

感謝と反撥、尊敬と侮蔑がないまぜとなった心理ドラマATG映画など前衛映画で活躍していた勅使河原宏監督の晩年の作品である。生け花の草月流家元でもあり、ここで描かれた茶道、能、...
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